拙者の写真修行小屋

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2018年 09月 03日

新緑は、かく目覚めし~居谷里湿原~

すぐ近くの中綱湖の水面にオオヤマサクラが響き、三脚の林がひしめいた、その翌週
カメラマンの気配が一気に消失した大町市へ
居谷里湿原
を訪れた
ミズバショウと共にこの湿原の彩りの先陣を切るリュウキンカに会いに行くのが
ここ数年の定番スケジュールになっている
(正確には、ミズバショウよりも先に「ザゼンソウ」が開花するが、
茶色系色の地味なこの花は、「彩り」というよりは、ひっそりと春を告げる古老の語り部のような存在である)
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午前2時半に起床して、塩の道・千国街道に車を走らせる
星空の透明感に胸が弾む
そんな快晴の日には、きっと湿原に朝霧が漂うであろうことを、予感するからだ

姿の見えない、しかしおびただしい数の小鳥たちがさえずる湿原に降り立つ
その混声合唱は、静寂をより深いものへと変化させてゆく伴奏のように感じる
深呼吸をする
毛細血管内を、静寂が駆け巡る
一瞬、冷感が肺から全身へと広がり、そして、急速に馴染んでゆく

ドライアイスの昇華のように地上すれすれの高さを朝霧がたゆたう遊歩道
僅かな気流の乱れがこの霧を消し去ってしまう様な気がして、歩調が、妙に慎重になり、じれったくなる

リュウキンカは、その名の語感のとおり煌めく姿を、心もち霧に淡く滲ませながら咲き誇っていた








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中綱湖のオオヤマサクラ達は、その短い花期をあっという間に終えていたが
この居谷里湿原は、いくらか標高が標高が高く、また日照時間が少ないためであろうか
山桜が今なお盛りで、図らずもリュウキンカとの調和を奏でていた








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もう一つ、気になることがあった
この構図は、居谷里に来るとまず最初に撮ることにしている(理由は今後、別の記事でまた述べたい)ものであるが
主題の樹が、霧中にあっても赤色に見えた
枯れてしまったのだろうか?と思ったが、帰宅後、念のため「信州湿原紀行」を開いてみた
一言一句読みつくしたつもりの本でいたが、まるで初めて見たかのようにフレーズが目に留まった
「居谷里はハナノキの北限分布地で・・・」







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『ハナノキ』
なんとなく童話的で儚げな名前だな、と感じて、さらに調べると
「カエデ科の落葉樹で、絶滅危惧種」
「春に赤い花を咲かせる」
そして
「居谷里湿原に隔離分布しており、5本が生息」
とあった。枯葉だと思っていたのは、実は花であったということだ
稀少性に対してミーハーを丸出しにするようであるが
そういうことであれば、来シーズンは本腰で撮影してみたくなった







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これは、2週間後のハナノキである
花と緑葉の萌芽が同居しており、かの「七色大カエデ」を彷彿とさせるような美しさがある








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話をリュウキンカに戻す
居谷里・親海湿原における撮影では「日の出」に拘っている
太陽そのものを構図に入れることは無いが
両湿原共に山林の上から現れる朝陽をハレーションで表現する
ハレ切りではなく、あえて「ハレ出し」を行う
光源を構図の外に追い出し、かつ、理想的なハレーションが発生する焦点域と絞りを模索する







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居谷里の場合、丁度日の出位置の真下に一本の木が立っているのだが
これをハレーションの中に浮かび上がらせるのが目的である

ほぼ思い描いたどおりのハレーション
しかし、なにかが物足りない、そう思った、その時






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湿原の植物たちがまとっていた朝露が
強い朝日に照らされ一斉に蒸発し始めた
ターゲットの樹が、流れる水蒸気の中から出現する様は
イメージをはるかに上回り、いや、想像力の及ばないような光景であった


新緑は、かく目覚めし








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~ 完 ~










by kobatetuapril | 2018-09-03 21:40 | 風景・スナップ | Comments(0)
2018年 07月 09日

塩の道にて2018~親海湿原のミツガシワ~









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「塩の道」という旧道がある
文字どおり、塩をはじめとした海産物を運搬した街道であり
信州は、その土地柄、古事記の昔から日本海に、太平洋に、と通じる運路が拓かれ
江戸時代にその完成をみるに至った

その塩の道の中の一道・「千国街道」は
信州の中央・松本市と日本海(新潟県糸魚川市)間、総延長120キロメートルを結んでおり
歴史的価値の確実性から塩の道の代名詞となっている
上杉謙信が甲斐・信濃の国(武田信玄)に日本海の塩を送った
「敵に塩を送る」
の故事も、この千国街道を由来としているという
そして、同道は、現在その原型をほぼとどめる形で国道147号あるいはJR大糸線と名を変え
高速道路が開通していない松本~糸魚川間の主要交通路として第一線の機能を、今日も果たしている





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「親海湿原」は、その千国街道のほぼ中央・北安曇郡白馬村に位置する小さな湿原である
今でこそ、姫川源流のほとりの清らかな湿原として、知る人ぞ知るくらいの知名度を得ているが
明治から世界大戦頃にかけては観光資源としての価値は皆無な、水田や泥炭の採集場であったのだという
なるほど、湿原の脇には確かに今なお耕作中の畑があり、カメラマンにとって構図確保の鬼門となっている
まぁしかし、そもそも泥炭が採れること自体が湿原であることの証のようなものだから
戦禍をくぐり抜けてから元の姿を「取り戻した」ということなのかもしれない








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ヒトの束縛を離れるや、親海湿原はおそるべき速度をもって原始の姿に還り立った
原始の姿
そう、今回の主役・ミツガシワは、氷河期の生き残りといわれている
太古のDNAを今なお咲き誇らせる奇跡の花だ








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ミツガシワの花期、親海湿原は白一色に覆われる
塩の道・千国街道のど真ん中に、塩の如く白い海が出現する
たまたま、この湿原の名に「海」の字が付くことに、妙に運命的なものを感じる
大昔、千国街道を塩を運んで歩んだ人々も、この白い海を見ていたのだろうか








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ところで、ミツガシワの花期から、私の
「超絶早起き週末生活」
が始まる
湿原の写真は、夜霧が発生する日の出前が勝負時であると思っていることと
ミツガシワの開花を皮切りに、あらゆる花々が湿原を息をつく間もなく彩るようになるからである









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ただ、今シーズンは花勢こそ申し分なかったが、肝心の「霧」が全く発生しなかった
早朝の放射冷却が起こらなかったことが要因である
霧というものは、経験上、2日以上晴天が続いた場合の2日目以降に発生することが多い
(雨天の翌日にいくら晴れてもダメ、ということである)
のだが、運悪く、この頃は「雨のち晴れ」のパターンが多かった








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そうなると、湿原独特の、しっとりとした空気がどうしてもカメラに写り込まない
後処理でいくら色味を調整しても、どこか「パサッとした」画面になってしまう
雨上がりだから、しっとりとした画面になる、という単純な話ではないようだ








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何をどう撮っても釈然とせぬまま、日の出の時が迫ってゆく








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来年は、霧の中に浮かぶ「塩の海」に出会えたらいいと思う




塩の道にて2018


~ 完 ~




































by kobatetuapril | 2018-07-09 20:32 | 風景・スナップ | Comments(3)
2018年 06月 26日

桜・響く ~中綱湖のオオヤマサクラ~





皆さま、お久しぶりです。kobatetuaprilです
春以来の激務は何とか収束していたのですが
その反動で凄まじい早起きで写真を撮って撮って撮りまくる週末が続き
撮った写真を整理する間もなく今に至っていました
松本市ではようやく初夏の花・レンゲツツジが見ごろを終え
ようやく一息つくタイミングが来ましたのでブログを再開したいと思います
桜の季節からのおさらいとなりますが、季節に追いつくよう、頑張ってみます


4月21・22日

大町市中綱湖

日の出前から数百人のカメラマンが大挙する、信州桜の聖地




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午前3時30分の到着ではすでに手遅れ
小さな駐車場は満車
ポジショニング合戦はピークに達しています
ですから、松本市居住の私は2時前に起きて3時前には現地入りし
真っ暗闇の湖畔に三脚を立ててひたすら朝を待ちました








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この季節だと、だいたい午前4時30分ころからEOS5DMarkⅢのAFが機能しはじめ
長時間露光で何とか絵に出来る明るさになります
しかしこの、「何とか絵になる」青の時間帯が、中綱湖撮影の、すでに第一ピークなのです








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ほとんどのカメラマンが、70-200程度の望遠レンズで対岸の桜を切り取るのですが
距離も露光時間も長いだけに、湖面で小さな魚が一匹跳ねただけでも絶大な影響が及びます
小さな小さな波紋が、広い湖では中々おさまらず、むしろ意外なほどの広がりを見せ
消えるのを待っている間にピークタイムが刻々と過ぎて行ってしまいます
静かな湖畔にカメラマンたちの焦燥が渦巻きます







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明るさが増してきて「青い時間帯」が終わりかける頃、対岸からの撮影を終え
ダッシュで湖を迂回し、接近戦に移行します







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数百人いるカメラマンが、思い思いの場所で日の出を待ち受けます
私がその瞬間に掛けたのは、この二重シンメトリーでした
地面に這いつくばるようにして確保した、私なりの渾身の構図です
多分、数多ある中綱湖写真の中で、この構成は私以外では一枚も無いはずです








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執着、という表現がこれ以上なく適切と思えるほど、この構成にこだわりました








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締めくくりは、なんだかんだ言ってもついつい撮ってしまうこの構図
ピーク時には、ほとんど順番待ちのようにして入れ代わり立ち代わり三脚が立つ場所ですが
その喧騒が終わる頃、地蔵の影の角度が丁度いい塩梅で傾きます
そこで初めてじっくりと撮影に取り掛かりました








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夜明けの微風が、桜響く湖面を幻へと変えてゆきました







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2018中綱湖 桜・響く

~ 完 ~


さて、これから季節を追いかけてブログ更新に励みたいと思います

皆様、お付き合いよろしくお願い致します
















by kobatetuapril | 2018-06-26 22:16 | 風景・スナップ | Comments(6)
2018年 04月 22日

桜色の銀河を泳ぐ龍~某所・龍の桜~





2018年・春

台風と見紛うような烈風が

盛大な、しかしあまりにも時期尚早な桜吹雪をもたらし

サンデーカメラマンを失意の底にたたき落とした

春という季節が、カメラマンにとっていかに掛け替えのないものであることか

この様な形で思い知ることとなり、運命の拙さに落胆した

この先、幾十度もおとずれめぐり逢う季節とはいえ

同じ春には、もう二度と逢えないのだ



痩せ細る桜を、職場の窓から眺めていた

相変わらず仕事は、瞬く間に深夜をむかえるような、凄まじいせわしさが続いている

風が吹こうが吹くまいが、今年の私には桜と語り合う間など無かったのだ

そう思い、諦めようとした

なのに

そういえば、今ごろ龍はどうしているだろうか

想いが過り、抑え難くふくらんでいった

それは、生きていようがいまいが、龍に会いに行ってみようという未練のようでもあり

翻弄され続けた春への、抗いのようでもあった


バッテリーチャージャーが点滅する様を、久しぶりに見つめた

とにもかくにも、龍のいる渕に行ってみよう、と思った









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龍は
多くの桜達が春の嵐により散華してゆく中
平然と、雄々しく、燦然と咲き誇っていた









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周囲を囲う高い杉林が
龍を人知れぬ存在たらしめている渕が
主を嵐から守り抜いたのだ







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独特の、血潮のように濃い色の花が
遠くからビョウビョウと聞こえてくる風音をよそに
そよと揺れていた









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緑鱗を纏った長大な姿態が渕の中でうねり
静かに咆哮をあげていた








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再会の喜びも束の間
昨日までは、桜達の体内時計がくるいを生じるほど暖かかったというのに
雪混じりの雨が降り始めた








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咆哮が静まっていった








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傘をさしながら、今年の龍を見送ろうと眺めていた
別れを覚悟しようとした

その時








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渕の向こうに玉が昇る気配があった








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龍が、玉をその手に掴んだ








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渕の上空を、玉の光が渡っていった









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飛沫の様な花びらが、透過光により、龍の血潮の色に染まる
渦巻くように輝くそれは、まるで大銀河のようであった

緑鱗を纏った龍が、春が、星雲を舞い昇っていった








 桜色の銀河を泳ぐ龍 


~ 完 ~














































































by kobatetuapril | 2018-04-22 22:00 | 風景・スナップ | Comments(1)
2018年 03月 03日

気嵐の朝に~大王わさび農場~









白鳥の流し撮り一代記を投稿中だが、一休み代わりに風景写真の記事を書いてみる

白鳥の撮影地・御宝田遊水池から帰宅する際、ちょっと寄り道をすると

大王わさび農場

がある

「安曇野」という場所は、その懐かし気な語感と、常念岳をはじめとした北アルプスの雄大な眺めから

日本人の故郷、的なイメージで全国区の知名度を得ているが

際立った観光場所は意外にもほとんど無く、辛うじて、このわさび農場だけが、知る人には知れている程度である









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その大王わさび農場の隣を、「蓼川」という小さな川が流れている
水源は北アルプスの雪解け水
生まれをたどれば「最も冷たい水」のはずで、水温は真夏でも15℃前後である
だが、伏流を経ているためなのか、真冬では反対に、他の河川と比較して水温は高めになる
その「比較的あたたかな水」が、放射冷却の空気にさらされて発生するのが
気嵐(けあらし)
という川霧
これは、この冬最強の寒波がおとずれた、つまり、最も濃い気嵐が発生した、今年の1月27日に撮影した写真
確か、最低気温は氷点下12℃であったと記憶している








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上の写真は色温度を1000k下げた写真、一方、こちらは800k上げて現像した
前者が好みだが、こちらも捨てがたいと思う








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気嵐はわさび田にも発生しており、畝のパターンにあわせて、昇りたての朝陽を眩しく滲ませていた
わさびという植物は、常に新鮮な水に接していないと、たちどころに枯れてしまうらしい
淀ませず、かつ流れ過ぎず
絶妙のさじ加減をもたらすのが、この幾何学模様なのだそうだ








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立ち上る気嵐が最強寒波にさらされダイヤモンドダストと化し
次から次へと、湧水の水面に舞い戻っていた








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黒色の幕は日除けで、夏季には、わさびの頭上に一斉に張り巡らされる
水が淀んでも、日差しが強すぎても育たない。なんと繊細な植物であることか








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一度、長靴を履いてわさび田に入らせてもらったことがある
幕の高さは身長181センチの私がかなり腰を曲げねば頭を擦るくらいのところにある
腰をかがめる手間と、幕を張る作業効率。それらの折衷がこの高さなのだろう








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ところで、大王は、今日でこそ日本最大級のわさび農場であるが
100年前までは、単なる荒地であったらしい








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いや、「単なる」は語弊がある。そこには「湧水」、ただそれだけがあった
古人は、不毛の大地から染み出る最高純度の雪解け水に希望を見い出そうとした
一筋の可能性は、幾十年も続いた開墾の歴史を経て、安曇野のグランドキャニオンとでも言うべき一大景観を形成するに至った








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精度と効率が飛躍的に増した現代だからこそ、その発想に、スケールに、ダイナミズムに、深い感慨を抱かずにはおれない
気荒の向こうで、昔と変わらず鍬を振るう農夫達に、情熱の幻を見る思いがする








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春は名のみの風の寒さや
谷の鶯歌は思えど
時にあらずと声も立てず
時にあらずと声も立てず

「早春賦」は、作詞家吉丸一昌が安曇野を想い綴ったものと言われており
北アルプス山麓を流れる穂高川の堤防道路には歌碑が立っている
歌碑の隣にはガラスケースに入ったオルゴールがあって、スイッチを押すと、メロディがゆるやかに流れる
同じ堤防の桜並木が開花する頃に、そのオルゴールを聞いてみる
金属音が、いつしか穂高川の川音とハーモニーを奏ではじめ、桜の芽が、スローモーションではじける

話は戻るが、わさび農場のほとりにも桜が植わっている
湧水の水温が、他の川に比して高いからだろうか
早春賦の歌詞とは裏腹に、その桜は安曇野の中で毎年いっとう早く開花するという印象をもって見ている



いつの間にか、そんな心の準備をする季節になった






気嵐の朝に

~ 完 ~















by kobatetuapril | 2018-03-03 20:57 | 風景・スナップ | Comments(8)
2018年 02月 06日

須賀利の思い出 ~三重県尾鷲市須賀利町~









大王町を訪れた後、尾鷲の北、紀北町に宿泊した

同じ紀伊半島でも、伊勢・志摩・鳥羽などに比べると観光資源に乏しい町だが

もう一か所、熊野灘でどうしても巡っておきたい場所があったからだ

3泊4日の駆け足旅行の中、貴重な1泊を、私の我儘に費やしてくれたカミさんには密かに感謝している








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須賀利町
尾鷲の北方・紀北町にあるハイコストパフォーマンス宿・「民宿あづま」から
熊野灘の海岸に沿って南に進むこと30分の場所にある漁村である








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人口は250人ほどで、「町」というよりは「集落」といった印象だ
かつては須賀利村という独立村であったが、昭和中期の市町村合併で、尾鷲市に吸収された
だから、現在の地名は「尾鷲市須賀利町」なのだが
面白いことに、尾鷲市街地からは、一度紀北町に入ってからでないとたどり着けない
つまり、須賀利は尾鷲の「飛び地」といういうことになる
紀伊半島の飛び地は、この須賀利の他に
和歌山県に属しながら三重と奈良の県境に染み出したように位置する「北山村」が有名である
昔は、尾鷲~須賀利間の往来手段は巡航船のみであったため、まさしく「飛び地」であったのだが
道路の開通により容易に往来が可能となった
そして現在
利益が見込めなくなった巡航船が、平成に入り廃止となったことで
須賀利は尾鷲市よりもむしろ紀北町の生活圏に飲み込まれ
飛び地の色合いを、以前とは別の形で濃くしている








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地形は、東側の「須賀利湾」に向かって駆け下るような斜面で、街のいたる所に階段があり
そして、いたる所でつづら折れている








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その迷路のようなつづら折りを歩いていると、こんな風に、魚拓の様な手形をそこかしこに見かける
米寿の祝いを迎えた時に手形を押し、玄関先などに掲示するという、尾鷲独特の風習なのだそうだが
この須賀利では特に顕著に受け継がれているのだという
昔は米寿と言えば大変な長寿であったろうから
この手形のある家は「長老が住む家」として村の衆に崇められたに違いないが
現代では、この手形が無い家を探す方が難しいくらいに有り触れており
街の景観を成す一種の「紋様」にさえなっているという印象である
言い方を変えると、須賀利は著しい高齢化を迎えた漁村、ということになる




この漁村も、大王町に負けぬくらいに海辺の街の憧憬を集めており
カメラマンであれば一日中歩き回っても飽き足らないほどの魅力をたたえているのだが
以上の写真は、実は忘れ物(恥ずかしながら、三脚)を取りに再訪した時に駆け足で撮影したもので
記事タイトルにうたった「思い出」については、以下でお見せしたい

相変わらず冗長な記事となりますが、どうか、最後までお付き合いを頂けたら幸いです








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同じ日の、午前5時30分
須賀利漁港
街路灯の袂に、白煙を上げる、小さな火を見つける







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信州から見れば尾鷲は南国であるが、さすがに朝は冷え込む
暖を取っていると、女性が4人集まってきて
白レンズを装着した仰々しいフルサイズ一眼レフを首から下げた私を怪訝そうな眼差しで見つめ
やや間があった後、ぎこちない挨拶が交わされた








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おはようございます。今は何の魚がとれるんですか?
伊勢海老だよ。10月から始まってるんだけど、今は真冬で海老も動かないから、あまりとれないけどね








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ほら、船が帰って来たでしょう
定置網を仕掛けていたのを、朝早く出て行った船が引き上げてくるんだよ
へぇ~須賀利は伊勢海老漁が盛んなんですね
昔はね。今は、この船も合わせて3隻が漁に出るだけ。船は沢山あるのにね
漁師もどんどん年寄りになっちゃってるから、私らは「期待の新人」みたいなものだよ








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うわ~!デカいですね~!!
なに、こんなのはまだ小ぶりな方だよ








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ほら、兄さん、これ、カゴに入れといてよ(笑)

ファインダー越しに巨大な伊勢海老を手渡される
驚いて、思わずピントを外した
カメラから目を離すと、パッと視界が開ける
何しろ目の前は海なので、暴れて逃げられては大変だ
両手でしっかりと胴体を持った
生きている伊勢海老を手づかみしたのは生まれて初めてだった
大きな体で、おっかなびっくり伊勢海老を運ぶ私を見て、熊野灘の乙女たちが微笑んでいた
伊勢海老は、私の手の中からそんな光景を見て、ギィギィ・・・という奇妙な鳴き声を上げて、長いひげを動かしており
観念したのか、思いのほかおとなしかった

漁の邪魔になってはいけないと思い、最初は70-200のズームで撮影していたのだが
この雰囲気は、他人行儀な遠距離写撃ではなく、24-70で「入っていくべき」だと感じた
また、望遠だと距離をとりすぎて海に落ちそうだった、というのもある








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ねぇ、この兄さん、長野から来たんだってよ~
写真の撮影だって








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なにぃ?撮影か~
「老婆の休日」ってか?(笑)
いえ、皆さん「期待の新人」だっておっしゃってますよ(笑笑)








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間もなく、2隻目も帰ってきた








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海老を網から外す作業と、網を整えたたむ作業とが、同時進行する
一切淀みが無く
あやとりの達人の指先のように
アコーディオン奏者が蛇腹を操作するように
淡々と、海老を開放した網がたたまれてゆく








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ところで、シャッターを切りながら気になって仕方が無かったのが、この光景である








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ジャンボサイズのサザエが湯気を拭いている
海水が沸騰する薫りが実に香しい
生唾がしきりに出てきて、飲み込むのが忙しい
いやがおうにも期待が高まり、『これ、どうするんですか?』とたずねたい気持ちをグッとこらえる







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ハイ、どうぞ

キター!

一生懸命に遠慮する風を装いながら、1匹目にフォークを突き刺す







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わずかな抵抗の後、つるりっ、と、スプリングのように飛び出す身
海の幸をたらふく平らげている内蔵の緑色が、翡翠のように美しい
そして、尋常ではなく、デカい。こんなの見たことない
どうやって食していいのかわからず、カメラを首からぶら下げたまま上を向き
巨大なとぐろ状のそれを口の上に持ってくる
仰ぎ見た須賀利の空に、サザエの湯気が昇ってゆく
塩水が数滴、口の中に垂れた
ほんのりとした油気に、海水のえぐみがブレンドされている
滴る液だけでこんなに美味いのだから、身は一体全体どれほどであろうか

意を決して口中にとぐろを送り込む
窒息してしまうんじゃないかと思うほどデカい
内蔵が含む海藻の薫りが、喉を逆流して鼻腔に流れ込み、貯留する
噛みしめる
噛圧を押し返してくるような、得も言われぬ歯ごたえ
こんな感動は、何年か前に行った香川県で、製麺所の讃岐うどんを食して以来である
染み出る肉汁が、内臓の薫りと混じり合う
人類の英知をいかに結集しようとも決して及ばないような、神の配合である

そんなサザエを、なんと5個も頂いてしまった








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モグモグ・・・
美味い・・・こんな美味いサザエ、食ったことない・・・美味くて泣きそうになったのは初めて
そうでしょう~?やっぱり山のものより海のものの方が美味いよね?
反論の余地など、あろうはずがない









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兄さん、ホントいい時に来たね~








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幸せをかみしめていた、まさにその矢先のことである








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・・・・・!!?








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焼けたら声かけてやるから、待っててね

注)なお、これで一人前の模様

おぉ・・・なんたる絶景・・・熊野灘、バンザイ!

写欲が食欲に完全敗北した瞬間である

あと、お宿で私の帰りを待っているカミさんと子供のことが、ちょっと頭をよぎったりもした








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ウニは、漁師さんから名前をお聞きするのを忘れたが
後で調べてみたところ、おそらく
シラヒゲウニ(もしくはその近縁種)
だと思われる








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殻を割ってみると、卵は一般的なイメージと比べて、やや白味がかっている
味も薄いのか、と思いながら、フォークで卵をほじくり出して食してみると
淡泊な色合いからは想像できないほど濃厚で、そして、何よりクリーミーである

ウニと言えば、その保存の難しさから、流通の過程で「ミョウバン」が添加される事が多い
私が住んでいる海無し県・長野では、おそらくほとんどが添加後のものであろう
だから、信州人はミョウバンのほんのりとした「えぐみ」をウニの味として認識しているはずである
しかし、仮に海辺の土地で、産地直送をうたうミョウバン無添加のものを食すとしても
当然腐食はしないだろうが、粒の質感の劣化等、何らかの変性は免れない
つまり、物理的に、私がこの時食したもの以上に新鮮なウニというのは、ほとんどあり得ないのである

よく、薪やガス釜で炊いた米を「粒が立っている」と表現するが
このウニの食感がまさにそれで、ツブツブザラザラとした舌触りを思う存分楽しみ
しかし若干の名残り惜しさを感じながら、上顎と舌で挟み、粒をつぶすのであるが
ミニマムサイズの温泉卵を何百・何千個も同時に口に含んだかのように
トロトロフワリ、と、油と磯の香りが漏れ出すのであった
「舌」という器官には、薫りを知覚する機能もあることを実感したような気さえした


このままでは「拙者の写真修行小屋」はフォトブログではなく食レポブログになってしまう








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8時半にはお宿に帰らなければならない
時間が迫っていた







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ねぇ兄さん、撮った写真はどうするの?コンテストに出すの?
いえ、コンテストには出しませんけど、ブログっていう、インターネットの日記みたいのに載せたいと思ってます
えぇ~!じゃぁ私らこんな小さな漁港から一気に全国区デビューだね!
でも、私のブログを見てくれた人が、伊勢海老やウニが食べれると思ってここに来るかもしれませんね(笑)
そりゃ困るな~
今度おじゃまするときは長野のお土産、持ってきますね
いいよいいよ、こんなところで良かったら、いつでもまたおいでね。この街が好きだなんて言ってもらえると嬉しいから







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拝啓、須賀利漁港の皆様

美しい須賀利湾が見える家で、私の思い出をご覧になっていてくれていますか

私は、まだまだ拙いカメラマンだけど、「人」を撮るのが好きです

なかでも、「笑顔」を撮るのが好きです

ファインダーの四角い視界に、パッと笑顔の花が咲く瞬間が、とてもとても好きなのです

その花を見て、もらい笑いをして、ちょっと恥ずかしくなる時の自分が好きなのです

人見知りで、どうしようもなく口下手な私に、こんなにあたたかく接してくれて、ありがとうございました

カメラマンとして、生涯忘れられない思い出になりました



さようなら、熊野灘

またこの海に逢いに行きたい









須賀利の思い出


~ 完 ~




















































































































by kobatetuapril | 2018-02-06 22:20 | 風土 | Comments(3)
2018年 01月 10日

未来へ ~松本市徳運寺の「巨大三九郎」~










年明け前に戻るが、平成29年12月12日、地元新聞「市民タイムス」の一面を、カラー写真付きの記事が飾った

「徳運寺の巨大三九郎に幕」

「三九郎」。左義長・どんと・どんど、など、地域によって様々な呼称がある、正月の風物詩であり

長野県松本市や、その隣の安曇野市でのみ「三九郎」が通称として定着しているという

ちなみに、私の故郷の長野市では「どんど焼き」が一般的だ

「徳運寺」は松本市の東方・美ヶ原高原への入り口となる「入山辺」地区に佇む曹洞宗の寺で

毎年、厄除け縁日に併せて三九郎が行われる

市民タイムスの記事がうたうとおり、徳運寺の三九郎は高さ10メートル以上

おそらく、松本・安曇野地方では最大規模のもので

多くの三九郎が地域ごとにまちまちの日付で行われ、いつの間にか終わっていくのに対し

徳運寺のものは厄除け縁日に「火祭り」と併記して宣伝され

20年以上にわたって行われ、「知る人ぞ知る」程度以上の知名度を得て今日に至っていた

それが、平成30年の正月をもって幕を下ろす、というのだ








~平成30年1月7日・徳運寺厄除け縁日~





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地元のご婦人たちによって振舞われる豚汁
勝手知ったるように集まる参拝者
これも徳運寺の正月の風物詩だ








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午後8時
三九郎を立てた入山辺の有志「二十日会」が松明をもって取り囲み、いよいよ点火となる








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骨組みに藁とヒノキの葉を被せただけの、極めてシンプルな造りは
同じ「三九郎」を冠するものでも類を見ない異形で
巨大なお灸の様にも見える








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三九郎は12月10日に立てられたのだが
今年の冬は雨や雪が少なく乾燥していたためなのか
ヒノキの葉の油に火気が浸透する
シュー!
という音をたて、凄まじい勢いで火が回る








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点火後1分を待たずして、巨大三九郎は火焔の塊となった










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わあ!熱い!

すごい大きな炎だね!顔が焼けそう!









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人だかりの輪がしばし炎から遠ざかる
まるで、入山辺の棚田に地球の核へと通じる穴が開き、マグマが噴出しているかのようだ

見たか。これが徳運寺の三九郎だ!

ファインダーを覗きながら、何故か、得意気になってしまう








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火勢が弱まったタイミングで、柳などの枝に串刺した米粉の団子「繭玉」を放り込む








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枝の端一杯を持って繭玉を差し伸べるが、いかんせんリーチが足りず、顔を焼くような熱風に悲鳴が上がり
たまりかねて、焼けているのかいないのか定かではないような米粉の塊を頬張る姿があった








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『今年も立派な三九郎が完成した

巨大三九郎は男のロマンとして作ってきただけに感慨深い

最後は今までの想いを込めて盛大に燃やしてやりたい』


20年以上にわたって徳運寺の巨大三九郎を立て続けてきた地元有志「二十日会」の、市民タイムスへのコメントである

会員が20余年の歳月の間に高齢化し

高所作業をするには体力的に厳しくなってきたのが

「幕」

への契機であったという










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しびれるコメントだった

記者に対し、堂々と「男のロマン」と言い放つ矜持に、胸を打たれた

もっと正直に言うなら、いくらか、涙が出た

「どこよりも大きな三九郎をつくる」

はじまりは、時の住職と彼らとの思い付きであったらしい

それがいつしか、肉体が堪えられなくなるまで追い求める、少年の夢の様な決意に変わっていった

男のロマン

初めて聞く様な、それでいて、懐かしさをこみ上げる様な言葉だと思い

そして、それを懐かしく思う自分を

悔しく思った


だが、残酷な見方をすれば、二十日会の情熱が若者に受け継がれなかったのは

彼らが見たロマンが、次世代の価値観に共有されなかったから、なのだ








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昔から、どんど焼きが好きだった

私の故郷では、どんど焼きの縁起物集めは子供の仕事だったのだが

正月休み、当日ともなれば、祖父の家からリヤカーを借り

義務で集まった同級生と共にダルマや松飾や書初めを集めてまわった

仮にこれが大人の仕事だったとしても、当時の私は、せがんででも参加したに違いない

餅を焼くことなど、どうでも良かった。餅など全く美味いとも思わなかった

ただひたすら、自分が集めた縁起物達が盛大に燃え上がり、天を焦がすのを見たかったのだ

ついでに、その炎で餅を焼く村の親子連れたちを見るのが、誇らしかった

けれども、いくら昔とは言え、そんな私は風変わり過ぎる少年であったと思うし

今こうして思い出しを試みても、恥ずかしさが全力で妨げようとしてくる

無意味なひたむきさであったのだ、忘れろ、と、心に、時代という名の蓋が閉まる









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私たちは、いつから「男のロマン」を遠い遠い絵空事のように想い

さらには、ある種怖れをなすかのように憧れまいとして、鼻で笑うようにさえなってしまったのだろう








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私たちの子供らが大きくなるころには、どれだけのロマンが

弱々しくも、しかし、燦然と輝き残っていてくれていることだろう








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私たちは、夢と希望がはばたく世界への可能性のために

何をして、残してゆくことが出来るのだろう








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未来へ







~ 完 ~


















第2回プラチナブロガーコンテスト




by kobatetuapril | 2018-01-10 12:40 | 風土 | Comments(7)
2017年 12月 14日

三脚で撮ってみた~高ボッチ高原~

「今日から拙者の写真修行小屋は『白鳥の流し撮りバカ一代記』になります宣言」をして以来2週間

拙ブログを訪れてくださった皆様の中には

この休業状態に「どうした?」と思ってくださった方もいらっしゃったかもしれません

実は、流し撮りをする気は満々なのですが、今年の安曇野の白鳥飛来はおそるべき少なさで

昨日12月11日の飛来数は

たった31羽

しかも、これは、2つある飛来ポイントを足した数で、の話なのです

多い年では1000羽を超える白鳥が、たった31羽では、貴重な休日の朝を費やす気には到底なれません

そこで、別の被写体を、と、盛り上がらないテンションで考えた挙句

「高ボッチでも行ってみるか」

となりました



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高ボッチ高原

有名な美ヶ原高原の隣にある、標高1,665メートルの高原です

その名の語感のとおり、頂上に登れば360°のパノラマが広がり

北を向けば美ヶ原高原、西を向けば北アルプス

そして、南には、諏訪湖越しに富士山が見えるという、信州屈指のビュースポット

特に冬季の諏訪湖の夜景と富士山の組み合わせは

これを求めて凍結路をのぼってくるカメラマンが後を絶ちません

でも、私はこの高原まで約1時間弱の家(社宅)に住んでいながら

風景撮影には一度も行ったことがありませんでした

何故か?

早起きが苦手。それもあるけど

三脚が苦手、を通り越して、嫌いだから。です

三脚を立てる作業って、その時その瞬間の感動を風化させちゃうような気がするので

まぁでも、三脚を立てねば物理的に撮れない写真もあるのは確かですし

何しろここは「拙者の写真修行小屋」でもあるので、嫌い意識を抑えて重い腰を上げてみたわけです








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高ボッチと言えば、多くの人が撮るのがこの構図

諏訪湖と、その湖畔の夜景越しの富士山

「高ボッチ」で画像検索すると、似たような画像がわんさか表示されます

私もとりあえず、ということで撮ってみましたが

う~ん。銭湯かな?おじいさんかな?

これはもういいや、と思いました








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そうかと言って良いアイデアがあるわけでもなく

高ボッチはこんなもんじゃないはず・・・

と、モヤモヤした気持ちのまま変えろとしたその時

「彼」に出会ったのです

途方に暮れて帰途に就く私に対し、その彼は、「私を撮りなさい」と語りかけてきたように感じました






翌週

降雪後の快晴、そして、月齢約20の明るい夜






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この樹

これだ、と思いました

前日の雪を纏い、月夜に浮かび上がる姿はサンゴ礁のよう

遠くには諏訪湖畔の町灯りと淡い朝焼けの中佇む富士

標高1,665メートルの高原にいるのに、まるで諏訪湖底にいるかのような感覚

この構図は、数ある高ボッチ写真でも見たことが無い!・・・気がする

しかし、月明りが弱く、樹氷が思ったほどには煌めかない。くすんだ様な写りである

どうしたものか

その時、寒さでちぎれ飛びそうな手をダウンジャケットのポケットに突っ込むと

私の手が確かに掴んだのです

ここまで歩いてくるときに使った、貧弱なポケットLEDライトを




ISO1250、F3.2、星の日周運動を抑制するために、シャッターは10秒

か弱いLEDが、樹氷を撫でました

10秒の時を経ておりるシャッター

ローアングルに三脚設置したカメラのモニターを確認するため、雪面に跪きました











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この樹を目の前に据えて撮影していたのは私一人だけ

多くのカメラマン達は、先週私が撮影していたポイントで三脚を並べていました

自分の白い息越しに映ったモニターの絵に、ガッツポーズしました







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夢の様な時間は、あっという間に終了

10分後には、富士を浮かび上がらせていた淡い朝焼けが明るくなり

いかにLEDを照射しようとも、二度とあのバランスの絵にはなりませんでした








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この時間帯、日の出が迫るほどに寒さが増すようでした






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地球って、本当に丸いんだな








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たまには有名撮影地も、三脚撮りもイイものですね































by kobatetuapril | 2017-12-14 21:16 | 風景・スナップ | Comments(12)
2017年 12月 02日

櫛を挽く~木曽郡木祖村藪原宿 ‘‘ お六櫛 ‘‘職人北川聰さん ~





昔々、木曽は妻籠宿の旅籠の娘「お六」は、頭痛に悩まされていました

そこでお六はある日、御嶽大明神に願掛けを行ったところ

「ミネバリの木で櫛をつくり、髪をすくがよい」

というお告げを受けました

そこでお六は、藁にもすがる想いで、お告げのとおり櫛をつくり髪をすいたところ

嘘のように頭痛が治ったのだそうです

その噂は街道の人々の間に広まり

いつしかミネバリの櫛は「お六櫛」と呼ばれるようになった、ということです






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というのが、私たちの祖先である櫛職人のつくり話です

「御嶽大明神のお告げにより」

っていうのが、いかにも木曽的でしょう






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これがミネバリの樹を櫛の概形に木取ったものです

ミネバリは、別名を「オノオレカンバ(斧折れかんば)」といいます

斧も折れるほど固い樹、ということです

比重も重くて、水に浮かべようとしても沈んでしまうほどです







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では、これから櫛を挽きますよ








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あ、写真を撮るのであれば、帽子を脱ぎましょうか


















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櫛の歯が均等に挽かれていることに驚いているようですね

実は、このノコギリにちょっとした仕掛けがあるのです

大きな刃の隣に、もう一つ小さな刃があるでしょう

櫛の歯を挽くときこの小さな刃が、次の歯挽きの目安を付けるわけです








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でも、それだけでは平行な歯を幾筋も引いていくことは出来ません

そこで、左手の人差し指が大切な役割を果たします

お蕎麦を切るとき、包丁に木の板を当てるでしょう

櫛の歯挽きでは、この人差し指が、板の役割を果たしているのです
















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歯挽きの跡に行う工程が「歯擦り」です

歯先や歯間に丸みをつける、ヤスリ掛けみたいなものです








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これが歯擦りに使う道具です

木の棒に、植物の「トクサ」を貼ったもので

丁度よい擦り加減が得られるのです









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この工程を表裏面に行うことで櫛の概形が出来上がります

この後、磨きや油ひきを施して完成となるのです








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いかがでしたか

享保の昔からお六櫛の技法は脈々と受け継がれ

昭和48年には信州の無形文化財に、その後・昭和57年には長野県の伝統工芸品にも登録されました

私がつくったお六櫛が、海を渡り、モナコ公国の公女様に献上されたのは、ちょっとした自慢です

それは置いときまして、お六櫛がこの先の未来でも‘‘実用品‘‘として

女性の美しい髪をすいてゆくことが、私たちの願いです

身近に、使われ続けてこその伝統なのです













































































by kobatetuapril | 2017-12-02 00:33 | 職人 | Comments(0)
2017年 11月 22日

箸を染む Ⅰ ~漆工町木曽平沢より「漆芸巣山定一」~










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漆は、特に国産のものは、採取できる量が極端に少ないという

そのため、余った分は器に入れ、ラップを被せて保管し、次の作業で再度使用するのだが

保管の間に、どうしても小さなごみや、乾燥した漆の塊が紛れ込む

それらを漉(こ)して、綺麗な漆を搾り出すのが、この漆漉し(うるしこし)という作業工程である








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漆漉しが終わると、持っていた箆(へら)を洗う

箆は、天然林で育った「官材」の檜製で、巣山さんが自身の手で削り上げたハンドメイドである

官材に対し、人の手が加わって育った檜を「民材」というが

成長が遅い分年輪が詰まった官材は、民材に比べ粘りがあり、割れにくく、職人の手に馴染むのだという








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漆漉しの説明を頂いたとき

「勿体ないから、漉して使うんです」

という言葉に胸を打たれた

漆は、何十年もかけて育った樹から、人の涙程度の量しか採取されないのだという

勿体ない

ものを造るからこそ、ものを大切にする

漆の樹が、その身を傷だらけにして搾り出した樹液を、最後の一滴まで使う

命の源である飯を胃袋へといざなう最後の食器・一膳の「箸」は、そんな想いによって造られてゆく










by kobatetuapril | 2017-11-22 23:09 | 職人 | Comments(0)