拙者の写真修行小屋

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2018年 01月 10日

未来へ ~松本市徳運寺の「巨大三九郎」~










年明け前に戻るが、平成29年12月12日、地元新聞「市民タイムス」の一面を、カラー写真付きの記事が飾った

「徳運寺の巨大三九郎に幕」

「三九郎」。左義長・どんと・どんど、など、地域によって様々な呼称がある、正月の風物詩であり

長野県松本市や、その隣の安曇野市でのみ「三九郎」が通称として定着しているという

ちなみに、私の故郷の長野市では「どんど焼き」が一般的だ

「徳運寺」は松本市の東方・美ヶ原高原への入り口となる「入山辺」地区に佇む曹洞宗の寺で

毎年、厄除け縁日に併せて三九郎が行われる

市民タイムスの記事がうたうとおり、徳運寺の三九郎は高さ10メートル以上

おそらく、松本・安曇野地方では最大規模のもので

多くの三九郎が地域ごとにまちまちの日付で行われ、いつの間にか終わっていくのに対し

徳運寺のものは厄除け縁日に「火祭り」と併記して宣伝され

20年以上にわたって行われ、「知る人ぞ知る」程度以上の知名度を得て今日に至っていた

それが、平成30年の正月をもって幕を下ろす、というのだ








~平成30年1月7日・徳運寺厄除け縁日~





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地元のご婦人たちによって振舞われる豚汁
勝手知ったるように集まる参拝者
これも徳運寺の正月の風物詩だ








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午後8時
三九郎を立てた入山辺の有志「二十日会」が松明をもって取り囲み、いよいよ点火となる








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骨組みに藁とヒノキの葉を被せただけの、極めてシンプルな造りは
同じ「三九郎」を冠するものでも類を見ない異形で
巨大なお灸の様にも見える








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三九郎は12月10日に立てられたのだが
今年の冬は雨や雪が少なく乾燥していたためなのか
ヒノキの葉の油に火気が浸透する
シュー!
という音をたて、凄まじい勢いで火が回る








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点火後1分を待たずして、巨大三九郎は火焔の塊となった










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わあ!熱い!

すごい大きな炎だね!顔が焼けそう!









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人だかりの輪がしばし炎から遠ざかる
まるで、入山辺の棚田に地球の核へと通じる穴が開き、マグマが噴出しているかのようだ

見たか。これが徳運寺の三九郎だ!

ファインダーを覗きながら、何故か、得意気になってしまう








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火勢が弱まったタイミングで、柳などの枝に串刺した米粉の団子「繭玉」を放り込む








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枝の端一杯を持って繭玉を差し伸べるが、いかんせんリーチが足りず、顔を焼くような熱風に悲鳴が上がり
たまりかねて、焼けているのかいないのか定かではないような米粉の塊を頬張る姿があった








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『今年も立派な三九郎が完成した

巨大三九郎は男のロマンとして作ってきただけに感慨深い

最後は今までの想いを込めて盛大に燃やしてやりたい』


20年以上にわたって徳運寺の巨大三九郎を立て続けてきた地元有志「二十日会」の、市民タイムスへのコメントである

会員が20余年の歳月の間に高齢化し

高所作業をするには体力的に厳しくなってきたのが

「幕」

への契機であったという










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しびれるコメントだった

記者に対し、堂々と「男のロマン」と言い放つ矜持に、胸を打たれた

もっと正直に言うなら、いくらか、涙が出た

「どこよりも大きな三九郎をつくる」

はじまりは、時の住職と彼らとの思い付きであったらしい

それがいつしか、肉体が堪えられなくなるまで追い求める、少年の夢の様な決意に変わっていった

男のロマン

初めて聞く様な、それでいて、懐かしさをこみ上げる様な言葉だと思い

そして、それを懐かしく思う自分を

悔しく思った


だが、残酷な見方をすれば、二十日会の情熱が若者に受け継がれなかったのは

彼らが見たロマンが、次世代の価値観に共有されなかったから、なのだ








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昔から、どんど焼きが好きだった

私の故郷では、どんど焼きの縁起物集めは子供の仕事だったのだが

正月休み、当日ともなれば、祖父の家からリヤカーを借り

義務で集まった同級生と共にダルマや松飾や書初めを集めてまわった

仮にこれが大人の仕事だったとしても、当時の私は、せがんででも参加したに違いない

餅を焼くことなど、どうでも良かった。餅など全く美味いとも思わなかった

ただひたすら、自分が集めた縁起物達が盛大に燃え上がり、天を焦がすのを見たかったのだ

ついでに、その炎で餅を焼く村の親子連れたちを見るのが、誇らしかった

けれども、いくら昔とは言え、そんな私は風変わり過ぎる少年であったと思うし

今こうして思い出しを試みても、恥ずかしさが全力で妨げようとしてくる

無意味なひたむきさであったのだ、忘れろ、と、心に、時代という名の蓋が閉まる









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私たちは、いつから「男のロマン」を遠い遠い絵空事のように想い

さらには、ある種怖れをなすかのように憧れまいとして、鼻で笑うようにさえなってしまったのだろう








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私たちの子供らが大きくなるころには、どれだけのロマンが

弱々しくも、しかし、燦然と輝き残っていてくれていることだろう








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私たちは、夢と希望がはばたく世界への可能性のために

何をして、残してゆくことが出来るのだろう








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未来へ







~ 完 ~


















第2回プラチナブロガーコンテスト




by kobatetuapril | 2018-01-10 12:40 | 風土 | Comments(7)
Commented by TamaWakaba at 2018-01-10 21:09
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
年始からの精力的な撮影、素晴らしいです。
私はこういう伝統行事を行う自治会とは無縁な子供時代だったので(今もですが)、
こういうお祭りとか年中行事には、ちょっと憧憬にも似た感情が湧き上がります。
だから、当事者の視線ではなかなか撮れなくて困った覚えがあります。
それにしても、こんな盛大な三九郎がなくなってしまうのは寂しいことですね。
Commented by pikorin77jp at 2018-01-10 22:47
こんばんは。
今回も素晴らしい感動をおぼえました。一枚一枚 すべての写真が素晴らしいです。
写真で 『伝える』ということの意味を深く感じました。 冬の風物詩 とんど  
何かを凄く感じ 伝わりました。 私も 心を込めて写真を撮ろうと思いました。
いつも素晴らしい写真を見せていただき ありがとうございます。
Commented by aryy2349 at 2018-01-11 17:36
寒さの中の熱風がこちらまで伝わってきます。
残念ですね男のロマンとしてまだまだ続けて欲しかったですね。

それぞれのスナップから楽しさと哀愁感を感じます。
特にじっーと見つめる少女の瞳・・・何を思い見つめているのでしょうか。
彼女たちの子供たちの未来、夢・・・幸せな未来であってほしい。

ちょぴり泣けてきました(笑)

ありがとうございます。。。
Commented by mon21mon at 2018-01-12 00:04
こんにちは。毎回、力作をありがとうございます。
なんといいますか、炎を眺める人の表情は皆穏やかですね。
炎を眺めると着飾ったものをふっと脱ぎ捨てたような感じがします。そんな表情がいくつか見受けられました
Commented by kobatetuapril at 2018-01-17 23:38
皆様、コメントをいただきありがとうございます。
>球わかば師匠
あけましておめでとうございます。
正月早々、師匠のカモシカ写真には相変わらず、凹むくらい度肝を抜かされました。
あれを撮影するには、もはや「精力的」などという表現とは異次元の原動力が必要のことと思います。
やはり、いい写真はそれなりの苦労をしなきゃ撮れませんし、苦労をした写真じゃなきゃイイものとは
実感できません。
技術云々の前に、今年はどれくらい写欲を燃やせるのか、が、まずもっての課題です。

>ぴこさん
枚数ばかり多くてとりとめの無い内容になってしまったな、と危惧しておりましたが、
好意的な感想を下さってありがとうございます。
私は、巧拙はともかくとして、人を撮ることが一番好きです。
人の、輝かしい瞬間と、ファインダー越しに接することが出来た時、
カメラマンとして本当に幸せだな、人間っていいな、と思うんです。

>きったしょうさん
私が子供だった頃、思い出補正を抜きにしても、この世界には、
今よりもずっとたくさんの、子供じみた男のロマンがあふれていました。
それが、気づけばいつしか死語のように扱われる世の中になってしまって。
自分は何でこんな過渡期に生まれてきてしまったんだろう?なんて思ってしまうこともあります。
けれども、炎を見つめる瞳には、大人も子供も、今でもまだ、ロマンの欠片が残っているように感じました。
三九郎が燃え尽きるのはあっという間でしたが、その欠片を探すために奔走する自分がいました。

>mon21monさん
>炎を眺める人の表情。
ありがとうございます。この記事でもっとも表現したかったのは、まさにそれです。
男のロマンが幕を下ろすのは確かに寂しい出来事でしたが、炎を見つめる人々の瞳は
なにか、遠くの思い出でも探し求めているように優しげで、胸を打たれました。
二十日会の男性の横顔がありますが、ロマンの散り際への想いというより、
20数年の充実感にありがとうと別れを告げるような、実に美しいものでありました。
世知辛い世の中ではありますが、人の根本は美しさなのだ、と思うことが出来た夜でした。
Commented at 2018-01-18 23:19
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kobatetuapril at 2018-01-30 23:57
flat_whiteさん
とても丁寧なコメントをいただきありがとうございます、そして、お返事が遅くなってしまい、ごめんなさい。
-人との距離が近いのはですね~・・・望遠ズーム(70-200)を使ってるからですよ(笑)
っていうのは冗談でもあり真実でもありますが、私は、お祭りの写真っていうのは、少なくとも二通りあるって思うんです。
一つは、夏に連載した浅間温泉のたいまつ祭りのように、被写体の中に飛び込んでいって、関係を持って撮影する方法と、
この記事のように、被写体の眼差しを第三者的に撮る方法、です。
どちらかというと、好きなのは前者です。だけど、この三九郎では、市民タイムスの衝撃的な記事からの有終と寂寥の美
という流れを出してみたかったので、望遠ズームを使用し、あ・・・と思った表情の数々を、砂浜で貝殻を探すような気持ちで撮影したつもりです。
もっとカッコつけていうなら、たいまつ祭りの写真は、「気持ちに入りたい」と思って撮りました。そして、この最後の三九郎は、「気持ちを感じたい」って思って撮りました。
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